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旭川家庭裁判所 昭和45年(家)322号 審判 1970年8月06日

未成年者 西田宏子(仮名)

後見人 田中里子(仮名)

主文

未成年者西田宏子の後見人田中里子を解任する。

理由

未成年者西田宏子は、両親が離婚した後父西田治郎の親権に服していたが、昭和四二年九月五日に父が死亡したため後見が開始していたところ、当裁判所は、母田中里子(田中斉と再婚)の申立てにより、昭和四五年二月二八日付で里子を宏子の後見人に選任する旨の裁判をした(当庁昭和四五年(家)第九一号事件。なお、このような場合、他方の親の親権が当然復活するとの説ないしは親権者の変更ができるとの説があるが、当裁判所はこれに依拠しなかつた。)。しかして、後見人選任申立ての主たる動機は、宏子の兄西田豊が死亡したので、同人が宏子を受取人として契約していた生命保険の保険金の受領手続をするというにあつたので、当裁判所は、事案の内容に鑑み、民法第八六三条第二項に従い、職権をもつて後見事務監督処分の手続を開始するのを相当と認め、後見人選任と同時にその旨の立件をした(当庁同年(家)第一〇、〇〇六号事件)。

上記監督処分事件における監督調査の経過及び調査の結果判明した事実は、次のとおりである。

一  西田宏子は、両親の離婚後兄豊、弟守と共に父治郎に引取られ、稚内市内に居住していたが、父が病気入院したので、守と共に○○市の育児院に託され、昭和四二年三月義務教育を終了し、約一年間○○市内の商店に店員として勤務した後、昭和四三年一〇月から肩書住所地の○○○病院に賄婦として勤務している。

二  本件保険金は、○○生命保険会社の三倍保障付家族収入保険で、漁船員をしていた宏子の兄豊が宏子を受取人として保険金一〇〇万円の契約をしていたもので、豊が船火事が原因で昭和四五年一月六日死亡したために宏子に支払われることになつたものである。

三  後見人選任後、宏子及びその親族から担当調査官に対し、里子と夫斉は金銭に対する執着が強く、本件保険金を着服するおそれが多分にあるので、裁判所において適当な措置をとつてほしいとの申出があり、また里子は保険金を里子名義の銀行預金口座に振込み方の手続をとつている事実が判明したため、当裁判所は、後見事務の監督上必要な措置として、里子に対し保険金受領の上は宏子名義の銀行普通預金口座に振込むよう指示することとし、担当調査官を通じてその旨を口頭で伝達して、里子の了解を得た。かくして、里子は昭和四五年四月二二日○○生命保険○○支社において保険金二八三万二、三八〇円を受領し、即日○○○○○銀行○○支店を通じて宏子名義の同銀行○○○○支店の普通預金口座に振込みの手続をした。なお、この手続には担当調査官が立会した。

四  宏子は、その後普通預金のうち二七四万円を一年満期の定期預金とし、預金証書を勤務先の病院の事務室金庫に保管して貰つていたところ、里子は、同月二四日旭川地方法務局人権擁護課に、翌二五日宏子がかつて在院した○○育児院主事に、それぞれ上記の措置に対する不満を訴え、保険金を自分の方に渡すよう仲介してほしいと申し出て、また翌二六日には夫斉と共に宏子の勤務先に赴いて、宏子に対し預金証書の交付方を迫り、更には五月六日付の担当調査官あて書信によつて、手許不如意につき宏子から二〇万円でも借用できるよう取次いで欲しい旨申入れて来たばかりでなく、本件解任事件の第一回審問期日である六月二四日には、期日に出頭しないで宏子の勤務先に赴き、宏子不在中の寄宿先の部屋に無断で上り込んで室内を物色したため、警察官に説論される等の行動があつた。

以上の事実によれば、里子は本件保険金の管理に関し、後見事務監督上の措置として発せられた当裁判所の指示に一旦従つたものの、その直後からこれに対する不満の態度を示し、保険金を自己の掌中に収めようと意図して、種々画策したものといわざるを得ない。そして、宏子が一八歳に達し、既に就職して独立の生計を営んでおり、身上監護の必要性が認められない本件にあつては、里子の上記の如き挙動は、同女が宏子の実母であることを考慮に入れても、最早後見の任務に適しないものというべきである。

よつて、後見人の陳述を聴いた上、民法第八四五条、家事審判法第九条に従い、主文のとおり審判する。

(家事審判官 青木敏行)

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